ポスト安倍の肩書きに騙されるな!

ポスト安倍の肩書きに騙されるな! 以前の私は民主党が政権を取りそうな頃から民主党政権時代にかけて時事関連のブログを書いて拡散しまくっていました。

テレビでは報道しない事実や、裏で何が起こっているか?
真実と嘘を秤に掛けてブログに上げていました。

自慢ではないですが私が書いたブログに間違いは一切ありませんでした。

民主党の不正を公にすることで世間は民主党に任せたのが間違いだったという世論が広がり自民党が政権に返り咲き、今の安倍長期政権が続いています。

もしあのまま民主党政権が続いていたらと思うと想像するだけでゾッとします。

今はゴチャゴチャとしょうもないことで騒いでいる野党やマスコミがいますが、私は安倍政権がこのまま続いて欲しいと望んでいます。

しかし、そろそろ次のポスト安倍の名が囁かれ始めました。
その一番の候補者が石破茂だそうです。

これは非常にヤバいことになりました。
民主党が政権を取った頃に近いヤバさを私は感じています。
なぜなら彼の主張には全く同意できないからです。

石破茂の主張を簡単に紹介してみます。


石破茂の主張】

・太平洋戦争は日本による侵略戦争だった

大東亜共栄圏侵略戦争遂行のための詭弁でしかなかった

慰安婦の強制あった(捏造)

人権擁護法案に賛成

・徴兵制推進

南京事件容認(捏造)、中共への謝罪必要

・原爆投下の二発目は、反対だが、一発目の投下は肯定

歴史観自虐史観そのもの。あまりにも歴史(近現代史)について無知

・リベラル派(理想主義)戦後教育の悪いところそのまま

女系天皇推進

・移民法を作り移民の受け入れを法律で定めるべきと主張


どうでしょう?
これを見てどれだけの人が賛同できますか?
喜ぶのは反日の人間だけだと思いませんか?

この者を総理大臣になんて以ての外です。
総理大臣どころか人格も疑われる人物です。
その人格を疑う事項を上げればキリがありません。



①蔵書をこれ見よがしに見せびらかす行為

②時々見せる、変な顔つき

慰安婦問題を朝日新聞と一緒になってけしかけたクリスチャンであること

靖国不参拝

人権侵害救済法案賛成派であること

外国人参政権についても反対はポーズである可能性あり

歴史認識自虐史観であること

⑧ともすれば中韓に媚びる政治姿勢

⑨第一次安倍政権の時の裏切り

喜び組に籠絡された

都知事選挙での桝添公認が陰謀めいている

⑫安保担当相固辞前後での抵抗が自民党分裂を印象づけるなど、子供じみている

⑬まわりくどいものの言い方


やば過ぎです!
こんなのを首相にしたら日本の恥です!

具体的に彼の発言を紹介します。


私は防衛庁長官時代にも靖国神社を参拝したことがない。第二次世界大戦の時に日本の戦争指導者たちは、何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから私は靖国神社に参拝しない、あの戦争は間違いだ、多くの国民は被害者だ。
日本には南京大虐殺を否定する人がいる。三十万人も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという。何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ
日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していたことは間違いない。
日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは、侵略戦争に対する一種の詭弁だ
(中国は日本に対する脅威であるから対中防衛を強化せよという人たちは)何の分析もしないで、中国は日本に対する脅威だと騒いでいる。
日本は中国に謝罪すべきだ。

【中国に対して擁護】




韓国の文在寅政権が、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めたことに、自民党石破茂元幹事長と、悪夢の民主党政権で「史上最低の宰相」と呼ばれた鳩山由紀夫元首相の発信内容がソックリなことが話題となっている。何と「日本に原因がある」と言わんばかりなのだ。

文政権のGSOMIA破棄に、米政府や日本の与野党幹部が「失望と懸念」を表明するなか、2人の発信は異色だった。

石破氏はブログで、「我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり」と記した。鳩山氏も同日のツイッターで、「その原点は、日本が朝鮮半島を植民地にして彼らに苦痛を与えたことにある」との持論を発信した。


【韓国に対して擁護】



ニートラップに掛かったとしか思えない中国や韓国を擁護する発言を繰り返して日本を凶弾しています。

これを読んでもあなたは石破茂が次期総理候補だと言えますか?

間違えても絶対に日本の首相(トップ)にはしてはいけない人間です!


他に少々昔の話になりますが…

2008年2月の海上自衛隊イージス艦「あたご」が南房総沖で漁船と衝突して、漁船の親子が死亡した海難事故への石破の対応で、その時石破は防衛大臣を務めていました。

この時石破は、マスコミにおもねる発言ばかり繰り返し、部下である自衛官を一切守りませんでした。
その事故の状況の事実には一切言及せずに、自衛隊側に全面的に非があるかのような印象を、トップ自ら与え続けました。
これでは防衛大臣としての、事故の再発防止策の策定や防衛力の向上などの施策には、一切役立たない。
石破は暴走するメディアに付和雷同した、と喝破されている。そして真実の追求と言う課題から「逃亡」し、身内を売り部下に責任を押し付けると言う防衛大臣としての役目も放棄してしまっている人物は、総理の器ではない、と断言されました。
総理の器と言うよりも「人間」としての欠片もない、と言われていました。

結局、刑事裁判では一、二審とも「あたご」側には回避義務はなかったと結論付けられて、海上自衛官全員が無罪となっています。
石破は自衛官隊OBや関係者に謝罪を求められたが、頬かむりをしたままだったそうです。

 
 
無責任、不実、不公正、石破茂


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【写真は正直、公正、石破茂www】

他にも裏切り行為や味方を後ろから撃つ行為を繰り返す行為は卑劣極まりない輩です。

石破茂を首相には断固反対します!

寅さんが恋したマドンナたち

 

寅さんが恋したマドンナたち
「男はつらいよ」を久し振りに映画館で観て来ました。
 
昔から寅さんは第1作から全て鑑賞済みでiTunesでもコレクションしている自他共に認める寅さんの大ファンです。
 
最新作観た影響で第1作から見直しています(#^.^#)
 
そこで自分の資料(コレクション)として全てのマドンナをまとめてみました。
 
 

第1作 光本幸子

坪内冬子役(御前様の娘)
男はつらいよ」(1969年)

 
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第2作 佐藤オリエ

坪内夏子役(音楽家
「続 男はつらいよ」(1969年)

 
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第3作 新珠三千代

志津役(温泉旅館の女主人)
男はつらいよ フーテンの寅」(1970年)

 
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第4作 栗原小巻

宇佐美春子役(幼稚園の先生)
「新 男はつらいよ」(1970年)

 
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第5作 長山藍子

三浦節子役(美容師)
男はつらいよ 望郷篇」(1970年)

 
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第6作 若尾文子

明石夕子役(おばちゃんの遠縁)
男はつらいよ 純情篇」(1971年)

 
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第7作 榊原るみ

太田花子役(元紡績工場勤務)
男はつらいよ 奮闘篇」(1971年)

 
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第8作 池内淳子

六波羅貴子役(喫茶店の女主人)
男はつらいよ 寅次郎恋歌」(1971年)

 
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第9作 吉永小百合

高見歌子役(OL)
男はつらいよ 柴又慕情」(1972年)

 
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第10作 八千草薫

志村千代役(美容院の女主人)
男はつらいよ 寅次郎夢枕」(1972年)

 
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第11作 浅丘ルリ子

リリー役(旅回りの歌手)
男はつらいよ 寅次郎忘れな草」(1973年)

 
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第12作 岸恵子

柳りつ子役(画家)
男はつらいよ 私の寅さん」(1973年)

 
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第13作 吉永小百合

鈴木歌子役(図書館勤務)
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」(1974年)

 
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第14作 十朱幸代

木谷京子役(看護師)
男はつらいよ 寅次郎子守唄」(1974年)

 
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第15作 浅丘ルリ子

松岡リリー役(旅回りの歌手)
男はつらいよ 寅次郎相合い傘」(1975年)

 
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第16作 樫山文枝

筧礼子役(大学の考古学研究室助手)
男はつらいよ 葛飾立志篇」(1975年)

 
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第17作 太地喜和子

ぼたん役(芸者)
男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」(1976年)

 
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第18作 京マチ子

柳生綾役(満男の先生雅子の母)
男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(1976年)

 
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第19作 真野響子

堤鞠子役(運送会社の事務員)
男はつらいよ 寅次郎と殿様」(1977年)

 
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第20作 藤村志保

島田藤子役(土産物店の女主人)
男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」(1977年)

 
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第21作 木の実ナナ

紅奈々子役(松竹歌劇団スター)
男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」(1978年)

 
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第22作 大原麗子

水野早苗役(とらやのお手伝い)
男はつらいよ 噂の寅次郎」(1978年)

 
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第23作 桃井かおり

入江ひとみ役(田園調布のお嬢様)
男はつらいよ 翔んでる寅次郎」(1979年)

 
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第24作 香川京子

高井圭子役(翻訳家)
男はつらいよ 寅次郎春の夢」(1979年)

 
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第25作 浅丘ルリ子

リリー役(旅回りの歌手)
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」(1980年)

 
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第26作 伊藤蘭

水島すみれ役(奥尻のスルメ工場勤務→学生)
男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」(1980年)

 
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第27作 松坂慶子

浜田ふみ役(芸者)
男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」(1981年)

 
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第28作 音無美紀子

倉富光枝役(テキ屋の女房→旅館の仲居)
男はつらいよ 寅次郎紙風船」(1981年)

 
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第29作 いしだあゆみ

かがり役(陶芸家のお手伝い)
男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」(1982年)

 
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第30作 田中裕子

小川螢子役(デパート店員)
男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(1982年)

 
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第31作 都はるみ

京はるみ役(演歌歌手)
男はつらいよ 旅と女と寅次郎」(1983年)

 
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第32作 竹下景子

石橋朋子役(蓮台寺の娘)
男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」(1983年)

 
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第33作 中原理恵

小暮風子役(美容師)
男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」(1984年)

 
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第34作 大原麗子

富永ふじ子役(主婦)
男はつらいよ 寅次郎真実一路」(1984年)

 
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第35作 樋口可南子

江上若菜役(印刷会社の写植オペレーター)
男はつらいよ 寅次郎恋愛塾」(1985年)

 
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第36作 栗原小巻

島崎真知子役(小学校教師)
男はつらいよ 柴又より愛をこめて」(1985年)

 
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第37作 志穂美悦子

島崎美保役(旅館のコンパニオン)
男はつらいよ 幸福の青い鳥」(1986年)

 
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第38作 竹下景子

上野りん子役(獣医師の娘)
男はつらいよ 知床慕情」(1987年)

 
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第39作 秋吉久美子

高井隆子役(化粧品の美容部員)
男はつらいよ 寅次郎物語」(1987年)

 
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第40作 三田佳子

原田真知子役(女医)
男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」(1988年)

 
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第41作 竹下景子

江上久美子役(ウィーンの観光ガイド)
男はつらいよ 寅次郎心の旅路」(1989年)

 
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第42作 後藤久美子

及川泉役(満男の恋人)
男はつらいよ ぼくの伯父さん」(1989年)

 
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第43作 夏木マリ

及川礼子役(泉の母・クラブのチーママ)
男はつらいよ 寅次郎の休日」(1990年)

 
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第44作 吉田日出子

聖子役(料亭の女主人)
男はつらいよ 寅次郎の告白」(1991年)

 
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第45作 風吹ジュン

富永蝶子役(理髪店の女主人)
男はつらいよ 寅次郎の青春」(1992年)

 
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第46作 松坂慶子

坂出葉子役(神戸の料理店経営)
男はつらいよ 寅次郎の縁談」(1993年)

 
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第47作 かたせ梨乃

宮典子役(写真が趣味の主婦)
男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」(1994年)

 
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第48作 浅丘ルリ子

リリー役(旅回りの歌手)
男はつらいよ 寅次郎紅の花」(1995年)

 
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寅さんには多くのマドンナがいましたが、寅さんの大ファンの私からしたら最後はリリーと結婚して欲しかったなぁ(ノД`)・゜・。
 
でも考えてみたら寅さんが結婚できないのは可愛すぎる妹を持ったことが原因ではないでしょうか?
 
多くのマドンナを紹介してきましたが、さくらに敵う女性はいません!(主観)
 
 
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私が気になった場面で寅さんでこういうことがありました。

寅次郎が懐に家族の写真を忍ばせていた時期があった。
第3作『フーテンの寅』(主なロケ地=三重県)で、それを宿屋の女中(樹木希林)に見せる。
写っているさくら(倍賞千恵子)を見て、「このきれいな人が奥さん?」と尋ねる。
寅は否定も肯定もしないが、あとで「かわいくても妹じゃ、しょうがねえや」とつぶやく。

この一場面を根拠に一部のファンから「さくらは寅の永遠の恋人」説が唱えられた。
 
因みに私もそのファンの中の一人です(;´∀`)
 
 
最近になって山田洋次監督もこう言っていました。

「兄と妹は、異性でありながらセックス抜きなわけですよね。いつまでも愛し合える。(『男はつらいよ』は)寅さんとさくらの永遠のラブロマンスだったのかもしれませんよね」
 
 
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2019年M-1優勝決定!クソ面白かった

2019年M-1優勝決定!クソ面白かった(≧▽≦)
2019年のM-1優勝が決まりましたね。
今年のお笑いグランプリシリーズシリーズは去年と比べてレベルが高かったと思います。
今までクソつまんなかった女芸人No.1決定戦 THE W も今年は決勝に残った2組とも面白かったし、お笑いの豊作な年だったと思います。



漫才日本一決定戦「M―1グランプリ2019」の決勝が22日、東京・六本木のテレビ朝日で行われ、結成13年目の「ミルクボーイ」が優勝した。史上最多の参加5040組の頂点に立ち賞金1000万円を獲得。テレビで漫才を披露したのも今年初めてという無名コンビ。ツッコミの内海崇(34)は「決勝に出られるだけで十分なのに夢のよう」と話した。

 敗者復活を含む10組がいずれも高得点をマークし、審査員のダウンタウン松本人志(56)が「過去最高」と評した戦い。7組目に登場したミルクボーイが令和初のM―1で暴れまくった。審査員7人による採点は700点中681点。04年のアンタッチャブルの673点を超え、過去最高点を記録した。

 上位3組での最終ラウンドでも審査員6人の支持を得て「かまいたち」「ぺこぱ」を圧倒。2人は制覇の瞬間「うそやうそや。夢、夢!」と連呼した。内海は「今年初めてテレビで漫才して…」と、大興奮。

 大阪芸大落語研究会の同級生だった内海と駒場孝(33)で07年に結成。同期にはトレンディエンジェルらがおり、M―1制覇を夢見て精進してきた。だが「2010年にM―1がいったん終了して目標を見失った」(内海)と、ギャンブルなどの趣味におぼれる日々を過ごした。駒場は「結婚しているのもあり本当に金銭的余裕がなく(家賃の安い)雑居ビルに住んでいる」という苦労人だ。

 しかし、M―1は15年に復活。昨年大会で後輩の霜降り明星が優勝し一念発起。駒場は「今年はバイト以外は全部ネタ合わせ。飲みの誘いも一切断った」。劇場の出番にも恵まれない中「後輩と一緒にライブさせてもらい」腕を磨いた。

 底辺からのシンデレラストーリー。会見ではギャグを挟む余裕もなかった。内海は「漫才だけ頑張ってきたんで、それ以外のトークとかはボロボロですけど、また漫才のように一から頑張りたい」とブレークを期す。1000万円の使い道について駒場は「これまで後輩が結婚しても大声で祝うしかできなかった。恩返しできれば。ボケゼロですみません」と目を潤ませた。

 ◆ミルクボーイ ボケの駒場孝(33)、ツッコミの内海崇(34)。07年結成。大阪芸大落語研究会出身。今年の第8回関西演芸しゃべくり話芸大賞グランプリ。M―1は16、17、18年と3年連続で準々決勝敗退。




審査員で振り返る令和初の『M-1』 今年も上沼恵美子“劇場”健在&松本人志がうなる「過去最高って言っても…」


 “令和”初の漫才日本一を決める『M-1グランプリ2019』(ABC・テレビ朝日系)が22日に生放送され、駒場孝(33)、内海崇(34)からなる2007年結成のお笑いコンビ・ミルクボーイが優勝し、15代目王者に決定。5040組の頂点に立ち、賞金1000万円を獲得した。芸人たちのハイレベルな戦いもさることながら、審査員たちの評価と言動も見どころのひとつ。史上初の2年連続同じ顔ぶれでの審査員となったが、オール巨人松本人志上沼恵美子中川家・礼二、富澤たけし立川志らく塙宣之の7人から『M-1』を振り返ってみたい。


 今回、審査員の去就で一番注目を集めていたのは上沼と松本。カンテレ『快傑えみちゃんねる』では、昨年『M-1』決勝直後の上沼への暴言騒動が話題となり、上沼自身が「紅一点っていうのはしんどいよね。審査員を審査しよるもの。いろんなこと言われるから。島田紳助さんに来てくれって言われて断れなかったんですよ。義理でね」と率直な思いを吐露すると、松本は「はっきり言うときますけど、僕は上沼さんが(M-1の審査員を)やめたら、やめますからね」と断言。上沼が「それは脅迫ですね」と笑顔で切り返すと、松本は「自分より先輩で尊敬できる人がいないと、自分が上に立つものではないですし」と真面目なトーンで語っていた。

 こうした経緯があることから、この日の番組冒頭でMCの今田耕司が「今年も来ていただいてありがとうございます」と向けると、上沼は「ありがとうございます。本当に。きょうは真剣に、だって将来が決まるわけですから。それを私たちが選んでいるわけですから、いらんこと言うなよ。頑張ります」と先制ジャブをしっかりと放った。1組目のニューヨークの漫才が終わった後も、上沼の勢いは止まらず「歌だけで引っ張っていくってすごいことだなと。あら、こんなところにこんなものが…」と笑顔で自身の新曲をちゃっかりアピールし、最初からさながら独壇場となった。

 ニューヨークの漫才への評価では、松本が「なんかねー僕の好みなんでしょうけど、ツッコミが笑いながら…僕はあんまり好きじゃないんですよ。僕は好み的にもっとツッコミが怒っているのが好きなんですよ。もうちょっと緊張感を出してほしいな」と見解を述べたことで、2人があからさまに肩を落とすという展開も。2組目のかまいたちの出番後には、山内健司から「志らくさんは降りてほしい」と“口撃”されていた志らくが「私、生放送で『15点つけてやるからな』と言っていたんですけど、参りました」とうなるなど、審査員の続投がもたらしたやりとりもあった。

 3組目の和牛には、塙が「また新しいネタを見させていただいて、毎年進化しているというか。型がない。いろんなことを毎年やるっていうのが、和牛の魅力なので。和牛とかまいたちがちょっとすごすぎるので、ほかの出演者が大変」とこぼすと、巨人が「後半がグッと盛り上がって。最後にちゃんと持っていって、うまいこといって、安心感がありましたね。川西賢志郎くんの普段のツッコミよりもボキャブラリーが少ない」と期待の高さゆえに注文をつける一幕も。

 新たな漫才の形に挑戦したすゑひろがりずには、上沼が「なんかね、こういうの初めて。お年いくつですの? やっていることは60(歳)過ぎ(笑)。完成されすぎて『M-1』の漫才じゃないので。92点でよかったのか、もっと上なんですよ。でも形が違うからね」と複雑な胸の内を吐露。続けて登場したからし蓮根には、一転して絶賛し、さらに例年話題になっている“愛のムチ”が意外な形で姿を現した。

 「ファンです。初々しいね。和牛には悪いんだけど、去年もその前も私は和牛に入れました。でも、なんかそういう横柄な感じが和牛に対してしました。このステージは僕のもの、緊張感も何もない、ぞんざいなものを感じました。でも、からし蓮根には初々しいものを感じました。本当に笑っちゃったし、フレッシュだし、てっぺんを取ったろうっていう気持ちがギュッと伝わってきて、私は大ファンよ。頑張れ! (チャンピオンを取りにいく感じが)いいの。それが『M-1』じゃないの? いいぞ! 頑張れ!」

 台風の目となったミルクボーイ、ぺこぱのネタに対しては審査員から好意的な意見が寄せられた。ミルクボーイに対しては、富澤が「おじさんが、コーンフレークだコーンフレークじゃないっていうので笑えるのが一番よかった」、ぺこぱに対しては松本が「松本も「これは、ノリツッコまない。新しいところ持ってきましたね。和牛敗れるっていう、衝撃的なところを見ましたね」と感慨深げに語った。

 ファイナルステージに進む前に、上沼がふとつぶやいた。「今年面白いです。すごいです。初めて拝見するコンビばっかりなので、今年は面白いですね。こんな上手な人ばっかり。久しぶりに興奮しています」。ミルクボーイが優勝に輝いた直後、上沼は手で涙を拭う仕草をしながら「感動しました。本当に、ちょっと泣いているんだけど」と呼びかけ、松本も「過去最高って言ってもいいのかもしれないですね。数年前だったら、誰が出ても優勝していたっていう」と口にした。令和初で15回目という節目の年を迎え、多種多様な漫才師が登場した今回、審査員の評価軸も難しかっただろうが、7人もジャッジとコメントで存在感を発揮していた。



■『M-1グランプリ2019』ネタ順と得点
※私も視聴中に採点してみました。



1:ニューヨーク 616点
(巨人:87 塙:91 志らく:90 富澤:88 礼二:88 松本:82 上沼:90)
マリアローザ:84)


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2:かまいたち 660点
(巨人:93 塙:95 志らく:95 富澤:93 礼二:94 松本:95 上沼:95)
マリアローザ:95)


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3:和牛 652点
(巨人:92 塙:96 志らく:96 富澤:91 礼二:93 松本:92 上沼:92)
マリアローザ:90)


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4:すゑひろがりず 637点
(巨人:92 塙:91 志らく:92 富澤:90 礼二:91 松本:89 上沼:92)
マリアローザ:94)


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5:からし蓮根 639点
(巨人:93 塙:90 志らく:89 富澤:90 礼二:93 松本:90 上沼:94)
マリアローザ:84)


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6:見取り図 649点
(巨人:94 塙:92 志らく:94 富澤:91 礼二:93 松本:91 上沼:94)
マリアローザ:90)


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7:ミルクボーイ 681点
(巨人:97 塙:99 志らく:97 富澤:97 礼二:96 松本:97 上沼:98)
マリアローザ:100)


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8:オズワルド 638点
(巨人:91 塙:89 志らく:89 富澤:91 礼二:94 松本:90 上沼:94)
マリアローザ:90)


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9:インディアンス 632点
(巨人:92 塙:89 志らく:87 富澤:90 礼二:92 松本:88 上沼:94)
マリアローザ:87)


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10:ぺこぱ 654点
(巨人:93 塙:94 志らく:91 富澤:94 礼二:92 松本:94 上沼:96)
マリアローザ:97)


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私が採点した結果もファイナルステージに残った3組は同じになりました。
だからこの結果に文句はないのですが、からし蓮根の評価が高いのには??な感じだし、すゑひろがりずはもっと点数与えてもよかったのでは?と思いました。




ファイナルステージ結果

ぺこぱ0票
かまいたち1票(松本)
ミルクボーイ6票(巨人、塙、志らく、富澤、礼二、上沼、マリアローザ



松本人志を除いて満場一致でミルクボーイに入れました。
お笑い好きを自称しながら正直、ミルクボーイを今まで知りませんでした💦
こんな才能が今まで埋もれていたなんて‥
心配なのが、これから露出が増えるでしょうがアドリブに弱そうなのが心配です。
ネタはキッチリと仕上げていますが、調べた限りでは同じパターンの漫才なので飽きられないようにバリエーションを増やして欲しいですね。
今までは前設や営業でしか漫才しなかったから同じネタでも初見に人が多くてやってこれたと思うけど、TVでやっちゃうと誰の目にも触れるから同じことをやっていると飽きられてしまいます。
これが通用するのは吉本新喜劇の一部の大物芸人(池乃めだか間寛平井上竜夫末成由美 など)だけです!


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彼ら(彼女ら)は同じギャグをずっとやっていても爆笑が取れますが、この領域に行くには厳しいでしょう。

ミルクボーイは前説歴が長いそうです。
前説は本番前にお客が笑い易いように場をほぐす役目もあるので、そこで培ってきた腕前を拝見というところでしょうかね。

寅さん、また映画館で会いましょう

寅さん、また映画館で会いましょう💖 

寅さん、また映画館で会いましょう💖
映画「男はつらいよ」で寅さんを演じた渥美清さんが亡くなって20年が過ぎました。

山田洋次監督、倍賞千恵子さん、前田吟さん、佐藤蛾次郎さんら“山田組”が再び集まり、思い出を語り合いました。



「会社には反対されたんですよ」


山田監督は冒頭、映画化する際の逸話を明かした。松竹の反対を押し切って制作したが、試写室にはまったく笑いが起きなかったという。

「なんだこの映画。ちっとも可笑(おか)しくない。僕も落ち込んだし、会社も絶望したんじゃないですか(笑)」

 ところが、封切られて間もなく、自宅にプロデューサーから電話が入る。



「おいっ、(客が)入ってるぞっ」


小田急線に飛び乗り、新宿の映画館へ駆けつけてみると、館内は観客の笑い声で揺れていた。


「驚いたね。その時のことは一生忘れないなぁ」


 山田監督は思い返した。

男はつらいよ」シリーズは1968年のテレビドラマからスタートし、翌年映画化。「男はつらいよ 寅次郎 紅(くれない)の花」(95年)までの全48作は、世界に類のない長寿シリーズとしてギネス世界記録にも登録されている。

48作すべてに出演し、「さくら」と「博」としてファンに親しまれた倍賞さんと前田さんは、シリーズ初期のころのエピソードを披露した。



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「さくらのアップになったりする時、渥美ちゃんは変な顔して笑わせるんですよ。カメラの高羽(哲夫)ちゃんから何度も『倍賞くん、笑わないのー!』って(笑)」(倍賞さん)



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「『痛っ』っていう台詞(せりふ)でも、僕らは『イテテテテ!』ってやらなきゃならないんだけど、渥美さんは『アタタァ……』って、独特なの。こんな人はやっぱりいないんだ。これでOKになっちゃうし、おもしろいし。すごいなと思ったよね」(前田さん)


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 帝釈天寺男、源公役でおなじみの佐藤さんは、


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「山田監督には『男はつらいよ』の前作で採っていただいた。2時間半遅刻してたばこ吸って足組んでオーディションを受けたんですけど。それでも使っていただいて(笑)」

松竹の若手社員から、「寅さんは、さくらに恋愛感情をいだいていたのでは?」という鋭い質問も。


 山田監督はこう返した。

「兄と妹は、異性でありながらセックス抜きなわけですよね。いつまでも愛し合える。(『男はつらいよ』は)寅さんとさくらの永遠のラブロマンスだったのかもしれませんよね」



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映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」のプレミア試写会が行われ、山田洋次監督、倍賞千恵子後藤久美子らが取材に応じた。
22年ぶりにしてシリーズ50作目となる今作には、渥美清さんが演じた主人公・車寅次郎も登場する。
山田監督は「編集を終えたとき、寅さんだけが年を取らず、幻のように存在していた」と感慨深げ。
倍賞は「50年をかけて、この映画を撮り終えた気がします」と語った。
その後の舞台あいさつでは、登壇したキャストに向けて、観客から大歓声と共にスタンディングオベーションが送られた。

~12月27日(金)全国ロードショー 配給:松竹~



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お帰り 寅さん

また、こうしてあなたに映画館で会える日が来るとは思ってもみませんでした😢


この映画シリーズは日本の誇りです。
 
 
アメリカよ、これが映画だ!」
 
 
海外でも寅さん旋風が押し寄せています!
 
 

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女性にだって寅さんは憧れの存在です!
 
 
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でも、やはり本物の寅さんが一番!!
 
 
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寅さん、また映画館で会いましょう💖
 

 

因縁の二人、ライガー 対 鈴木みのる

因縁の二人、ライガー 対 鈴木みのる
引退間近のライガーが因縁の相手、鈴木みのるとシングルで試合をしました。

最近のプロレスは大技を繰り出し合ったり、飛んだり跳ねたりと可憐な技の応酬がメインでプロレスブームが起きています。

そんな中、50歳を超えた二人のこれが昭和プロレスという試合が繰り広げられました。

先ずは試合の解説よりも二人の因縁を知らないと試合の楽しみが半減…いや、10分の1も楽しめないので、二人の関係から紹介したいと思います。


来年、1月4日、5日に開催される新日本プロレスの東京ドーム大会での引退を表明している獣神サンダー・ライガー
 
 
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ジュニアヘビー級のレジェンドだけに、国内外の多くのレスラーから「引退前にもう一度闘いたい」という対戦希望の声が上がっているが、先の新日本プロレス『Road to レスリングどんたく2019』シリーズでも、またひとり、ライガーとの一騎打ちに名乗りをあげる男が現れた。鈴木軍のボス、鈴木みのるだ。
 
 
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4.24新日本プロレス後楽園ホール大会、「獣神サンダー・ライガー デビュー30周年記念試合」で、ライガーと鈴木は、それぞれタイガーマスク田口隆祐金丸義信エル・デスペラードとトリオを結成し、タッグマッチで対戦。

この試合前、マイクを持った鈴木は「おまえ、あのとき言ったよな。『2年ぐらい時間よこせ』って。いつまで待たせるんだよ。それともなにか、『体力が衰えて怖いから、もうあなたとはできません』ってことか?(笑) おい、どうすんだよ?」と、ライガーを挑発。そして「獣神サンダー・ライガー30周年のプレゼントだ!」と、オープンフィンガーグローブを投げつけた。



ライガーと鈴木は、いまから17年前の2002年11月30日、パンクラス横浜文化体育館大会において、パンクラス総合格闘技)ルールで対戦。


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この時は、鈴木がこのルール初挑戦のライガーにマウントパンチからチョークスリーパーで一本勝ち。
試合後、短い準備期間でこの試合に臨んだライガーはマイクを持ち、「もう一回やろう。でも、すぐというわけにはいかん。2年ぐらい余裕をくれ。次はブチのめす!」とアピールした。

なぜ、いまになって鈴木は、あらためてライガーとの再戦をアピールし始めたのか?
それは、あの17年前の一戦が、鈴木のレスラー人生にとってきわめて重要な試合のひとつだったからだろう。


もともと鈴木にとってライガーは、新日本の若手時代、もっとも仲のいい先輩のひとりだった。それが'89年春、鈴木は新日本を退団して第2次UWFに移籍。ライガーは素顔から覆面レスラーの“獣神ライガー”に変身して、第二のレスラー人生がスタートし、ふたりは別々の道を歩むこととなる。

その後、鈴木はUWFプロフェッショナルレスリング藤原組を経て、'93年に船木誠勝らとパンクラスを旗揚げし、プロレスから総合格闘技へと足を踏み出す。
そして'95年5月にケン(ウェイン)・シャムロックを破り、キング・オブ・パンクラスの王座を奪取。
しかし、'96年に頚椎ヘルニアの大怪我を負い長期欠場。
そこから連敗を重ねるようになる。
完全実力主義、リアルファイトのリングでは、勝てなくなった選手に居場所はない。鈴木は肉体的にも精神的にも追い込まれた。

鈴木はインタビューでこう語った。
「自分が理想として掲げていた格闘技の世界では、俺みたいに勝てなくなったヤツは身を引くしかない。だから、あの頃は引退することばかり考えていた。本当は辞めたくないのに、自分の気持ちに嘘をついてね」



そして2002年に引退を決意。最後のケジメとして、若手時代のライバルである佐々木健介パンクラスのリングで、新人の頃の気持ちに戻ってがむしゃらに闘い、燃え尽きようと考えた。
当時、ちょうど新日本とパンクラス交流戦を行なっていた時期であり、新日本所属だった健介とのカードを組むことが可能だったのだ。

ところが対戦を正式発表したあと、健介は足のケガなどを理由にこの一戦を辞退。
鈴木の“最後の試合”は宙に浮いてしまった。

「あの時は、自分が情けなかったね。その前は、DEEPのリングでUWFの後輩である田村潔司と闘うという話もあったんだけど、それも流れて。勝てなくなったヤツには、自分の“死に場所”すら選べないんだなって」

そんな時、鈴木の携帯電話が鳴る。相手は獣神サンダー・ライガーだった。

健介戦の話がなくなって、もうどこにも行き場がなくなったとき、ライガーから電話がかかってきてさ。『おい、健介がおまえとやらないって聞いたぞ? なんでアイツやんねえんだよ!』って言われてね、『何回聞いても“できない”としか言わないんですよ』『なんなんだアイツ』『知らないっスよ』みたいなやりとりがあって。


そのあと『そこまで話が進んでいたのに、どんな理由があるにしろ“出られない”ってなったら、おまえは健介が逃げたと思うだろ?』って言われて、『思います』って答えたら、『ってことは新日本がおまえから逃げたってことになるんだよ。俺は絶対それを許さない。俺がやる。新日本は逃げねえからな。マスク脱いででもなんでもいいよ、やるよ』って言ってきてね。俺、感動しちゃったんだよ」

かつての先輩が、鈴木の行き場のない思いを受け止めてくれたのだ。


2002年11月30日、鈴木はライガーパンクラスのリングで対戦。すると、抑えていた感情が溢れ出した。「どうしても、もう一度プロレスをやりたい」と強く思うようになったのだ。しかし、プロレスに復帰すれば、パンクラスを作ってからの自分の発言を覆すことになる。

「でも、どうしてもやりたい気持ちはもう抑えられなかった。だから、それまで築いてきた自分のイメージ、パンクラスの仲間たち、支援してくれた人たちやファン、すべてを失う覚悟で戻ったんだ」

2003年、35歳でプロレスに復帰。あのライガー戦なくして、いまのプロレスラー鈴木みのるは存在しなかったのである。



そしていま、鈴木は引退を決意したライガーと再び闘おうとしている。それは17年前に約束した“総合格闘技ルールで”というわけではない。

4.23後楽園での試合後、鈴木みのるオープンフィンガーグローブを床に叩きつけてこう語っている。

「べつにこんなもの付けてなくてもいいんだ。俺が殴ればいいんだ、蹴ればいいんだ、首絞めればいいんだ。俺はおまえのトドメをさせればそれでいい。ライガー、おまえの口で答えろ!」

鈴木は17年前のあの一戦以降、自分が培ってきたプロレスをライガーにぶつけるだろう。

そして鈴木に負けてからブラジリアン柔術を学び始め、現在紫帯を取得しているライガーは、その技術も駆使して、自分のプロレスで勝負することだろう。

鈴木みのるvs.獣神サンダー・ライガーは、いまだからこそやる意味がある。


そうして迎えた10.14両国国技館獣神サンダー・ライガーvs.鈴木みのるの一騎打ち!

なんと、伝説のバトルライガー仕様で登場!
 

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解説はいつものメンバーで山ちゃんとミラノ、そしてゲストに棚橋
 
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試合開始序盤はお互いに探り合い
 
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ライガーが自ら寝そべりグランド勝負へと挑発
 
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しばらくバックの取り合いをした後に、今度は鈴木がグラウンドに誘う。
 
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場外戦を仕掛けたのはライガーだったが逆にイス攻撃を受けてしまう。
 
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リングに戻って寝技で鈴木を追い込むライガー
 
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腕折を仕掛けるライガー
 
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2連続の腕折を仕掛けたが3度目でスリーパーを決められる。
 
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その後は打撃の応酬
 
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掌底合戦は鈴木の威力の方が上回る。

しかし、ライガー起死回生の垂直落下式ブレンバスターが炸裂!
 
 
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最後は意地と意地の張り合い
 
 
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最後は鈴木みのる得意技
ゴッチ式パイルドライバー

鈴木は上空を指差す👆
 
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ガッチリ腕で固定して…
 
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その場でジャンプ!
 
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脳天からマットに叩きつけた!
 
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そのまま3カウント!
 
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ピクリとも動かないライガーの前で立ち尽くす鈴木みのる
 
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すると鈴木みのるが…
 
なんと!
 
土下座
 
 
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あの世界一性格が悪いと言われた鈴木みのるが…

深々と土下座をした。

それはお辞儀では表すことが出来ない最高位の感謝の気持ちを鈴木みのるが示したのだ。
 
 
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ライガーは倒れたまま泣いていた。
 
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頭を上げた鈴木みのるは複雑な表情をしていた。
 
 
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解説をしていた棚橋は二人の因縁を間近で観ていた一人なので感極まって泣きそうになっている。
 
 
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ダメージが回復したライガーは立ち上がり、花道を後にする鈴木みのるにこう言った。
 
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この言葉に涙を我慢していた棚橋は泣いた💧


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私も泣いた💧💧


ありがとう ライガー

そして ありがとう 鈴木みのる

いい試合観せてもらったよ。
 
 
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日本人が誇りにすべき会社とは‥?

日本人が誇りにすべき会社とは‥?
人は行動に移したくても柵(しがらみ)により行動に移せないものです。

ましてや会社のトップともなると社員ならびにその家族も養わなければなりません。

そういった立場でも勇敢に行動に移した人達がいます。

会社にとって利益になる訳でもないのに、無償で社会に貢献した人達です。
 

解体業者フジムラはどんな会社?市原ゴルフガーデンの無償撤去理由や藤村一人会長の経歴も!

台風15号で沢山の家が壊われたり大変な状況となりました。千葉県市原市ではゴルフ練習場『市原ゴルフガーデン』の鉄柱が倒壊し、民家16軒が損壊した事故で一体誰が補修するのか連日ニュースで取り上げられています。
 
 
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当初ゴルフ場のオーナーが全て補修・保証をしてくれる話だったのが弁護士が間に入ったことにより、話が進まなくなってしまい、住民の方々の不安や怒りが増す中、突如鉄柱を無償で撤去してくれるという解体業者『フジムラ』が現れました。

保証の面ではまだまだ話は進んでいませんが、まずは邪魔な鉄柱を無償で撤去してくれる業者さんの存在は住民にもゴルフ場オーナーにとっても大きいかと思います。

鉄柱が倒れて翌日には、市原市に撤去の協力をしたいと手を挙げ、調整を進めていた解体業者『フジムラ』はどんな会社なのでしょうか?
無償撤去理由や社長の藤村一人さんの経歴なども紹介したいと思います。


 
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2006年(平成18年)2月、グループ会社の株式会社フジムラMプランナーと株式会社フジムラ企画を設立。

日本有数の解体業者であり、その規模、工事経験、卓越した技術力と機動力によって知名度が高い会社。

株式会社フジムラは日頃からみんなでアイデアを出し合い、社内で活発に話し合うことを重要視しています。


市原ゴルフガーデンの無償撤去理由

スポニチの記事によりますと、株式会社フジムラの会長である藤村一人さんは、「困っている人を助けたい」という理由で無償で請け負うことを市原市と練習場の女性オーナーに申し入れたのだそうです。

しかも、鉄柱が倒れて翌日に手を上げたのだから凄いですよね。

鉄柱の撤去にはおよそ2ヶ月かかるというのだから、その経費はかなりだと思われます。

行政や当のゴルフ場オーナーがもたもたしてる中、地元ではない藤村会長の素早い行動。とても格好いいです。



1.会社の利益よりも人の心情を優先する藤村会長!

 
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美智子上皇后陛下のご生家正田邸が相続税で物納された際解体を入札で請け負った㈱フジムラ。しかし、保存を望む近隣の声に耳を傾け、当時の藤村一人社長は解体工事の辞退を決定。「一度男が口にした事は絶対に変えられない。」と言い、商売より日本人や社員の心情を最優先する素晴らしい方だった。〈出典:ウィキペディア


2.国立競技場解体工事において、スポーツ振興センター(JSC)と建設会社の談合疑惑を追求し、一度は無効となった入札を取り下げ落札!


国立競技場は解体されることとなり、日本スポーツ振興センター(JSC)は入札を行ったが1回目は不調におわる。

2回目から株式株式フジムラも応札するも最低額で無効となる。結果関東建設興業株式会社が落札。しかし、1回目の入札が不調であったにも関わらず、2回目において予定価格が上昇していることに気づいた藤村会長は日本スポーツ振興センター(JSC)に猛抗議に出向く。

7時間話し合いをし、書類の不備の修正を申し出たがJSCは聞き入れず。その際JSCの管理部調達管財課課長から官製談合の疑いがあるとの発言があったためJSCにより公正取引委員会に報告がなされ、更にJSC内で調査部会を設置し、調査が開始された。
しかし、結論は『官製談合はなかった』。

この結果を受け、藤村会長は弁護団を結成し、談合の疑いがある資料を提出。2回目の入札の契約は破棄となった。
この一連の経緯が第187回臨時国会参議院予算委員会で取り上げられJSCの理事長に対し、談合疑惑の追求がなされた。警察庁2課も調査に動く事態に発展。

第3回目の入札は㈱フジムラが最低価格を提示し、またしても保留。藤村会長は弁護団と伴い『特別重点調査』に臨んだ。結果JSCに認められ国立競技場解体工事を16億7292万円で落札した。第1回目の入札から約7ヶ月掛かった。〈出典:ウィキペディア




11月13日撤去が全て完了!

鉄柱の撤去に、1億円かかり、2ヶ月ほどかかると言われていました。しかしそれを無償で、しかも約1ヶ月で完了させた株式会社フジムラ。
ネットでは、称賛の声が多くあがっています。

撤去作業を見ていた人は、とても丁寧な作業だったと言っています。

無償で予定よりも早く仕事をこなす。あまりニュースで会社名を大きく取り上げていないですが、このスペシャリストは株式会社フジムラだと伝えたい。


鉄柱の撤去により、住民の方は住宅被害が拡大するのではないかと、心配してましたが、株式会社フジムラさんの高度な技術と迅速丁寧な作業で被害拡大しなかったようです。
しかも、破損した屋根にしっかりブルーシートで保全までしてくれたそうで。ほんと素晴らしい方々です。


解体業者フジムラは現在2代目である藤村一人さんが社主となり、グループ会社と共にご兄弟と奥様で経営されている会社で、規模・技術・経験すべて卓越した知名度の高い会社でした。

『困っている人の力になりたい』とゴルフ場の鉄柱の無償撤去を名乗り出た藤村一人会長は時に会社の利益よりも人の心情を優先する侠気あふれる方でしたね。

そして実際、予定よりも早く撤去完了し、住民の方が心配されていた、撤去による住宅被害の拡大はありませんでした。
その上ブルーシートで破損した屋根を補修して下さったそうで、本当に藤村一人会長をはじめ、株式会社フジムラさんの優しさと完璧な仕事に感動しました。


まさに建設業界の鏡ですね。
目先の利益を追うのではなく、無償でも社会に貢献することで行く行くは将来の利益に繋がるということでは最善の選択をしたと思います。

他にも関西の方ではこう言ったこともありましたね。



福知山線脱線事故から13年 ある2人の社長の「懊悩」と「決断」
JR西日本と日本スピンドル製造


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事故当時、指示を待つのか、付近で待機し続けたJR西日本の社員たちとは対照的に、機転を利かせて自ら動いた一般のひとたちが注目された。踏切の非常ボタンを押して約100メートル手前まで迫った特急電車に事故を知らせた通りがかりのひとや、救助活動を果敢におこなった近くの会社などの従業員、近隣住人といった人たちである。当時の新聞には「作業着を着たおじさんが救急隊より早く来た。仲間の人たちに指図して、救助に邪魔なフェンスを切り、がれきをどけて、飛び散ったガラスを掃いてくれた」との負傷者の証言が残っている。

この「現場」に、「200人以上の社員を一気に救援に出せるのはうちだけ」と社員を向かわせたのが、くだんの日本スピンドル製造の社長・斎藤十内である。事故の衝撃音を聞いて、すぐに事故現場に駆けつけた社員らは救援活動をはじめるが、しかしまるで人数が足りないからと斎藤のもとに走り、現場を見るよう乞う。そして助けを待つ無数の負傷者の姿を見た斎藤は工場の操業を止める決断をし、社員を救助活動に向かわせるのであった。

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「迷いはゼロであるはずはありません」

斎藤はその前年、低迷する業績をどうにかするべく社長に就任する。そうした状況もあってか、工場を止めることについて、「迷いはゼロであるはずはありません」と率直にふり返り、秋には「名前が売れたのに、業績が落ちたら大変だと、社員にはっぱをかけています」とも語っている。

このあたり、単純な美談ではなく、懊悩をともなう人の決断であるがゆえに、余計に響くものがある。そして2006年度の決算で13期ぶりの復配を果たすことで、「人道的な活動」と「利益の追求」は相反するものと思ってしまいがちだが、そうではないことを証明するのであった。

 
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JR西の支配者・井手正敬の「誤った人間観」

いっぽうで「利益」と「安全」が相反していたのが加害者のJR西である。地域で乗客を奪い合う阪急に競り勝つため、過密ダイヤと高速化に躍起になる最中の脱線事故であった。また救助活動をする近隣企業の従業員や住人と対照的に、脱線した電車に乗り合わせた出勤中の運転士に「遅れずにくるように」と言いつけたり、社員たちが自粛することもなくボウリング大会やゴルフコンペを行うなど、当事者意識の薄さが非難を浴びる。

刊行された松本創による『軌道』は、脱線事故の原因追及とこうした企業体質の変革を追ったノンフィクションである。ここで象徴的なのが、事故当時相談役だった井手正敬の次の言葉だ。「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。そんなものはまやかしです。(略) 個人の責任を追及するしかないんですよ」。ここに天皇とまで呼ばれたJR西の支配者・井手の「誤った人間観」「歪んだ安全思想」が浮き上がる。そして、こうした組織を変える中心となったのが、『軌道』の中心人物であるふたり、鉄道事故は「組織事故」だとするJR元社長・山崎正夫と、遺族の責務としてそれを問い続けた淺野弥三一だ。




ひとは必ずミスをするということ

山崎は、井手に嫌われ、長く子会社に出されていた。それが誰もがやりたがらない事後処理の役回りを担う社長として井手に選ばれる。誰かに指名されて役職につくと、恩義から指名した者に服従しがちなのが組織に身を置く者の習性だろう。ところが山崎は井手を追放してしまう。それは組織から追い出すのみならず、「誤った人間観」「歪んだ安全思想」との訣別の意思表示でもある。

この山崎を衝き動かし、JR西を変えていくのが淺野である。淺野は阪神大震災の復興まちづくりなどを行う都市計画コンサル業を営む。それが事故により妻と妹の命を奪われた遺族として、厳しくJR西を追及し、社員らに恐れられていた。そんな淺野も山崎に対しては「あなたも落下傘で大変やなあ」と声をかける。他の社員にない、ひと対ひとの機微、働く者同士の共振が感じられたからだろう。

かくして山崎と淺野は、安全のあり方を問い、突き詰め、変えていく。それはひとは必ずミスをするということであり、ミスは気の緩みや意識の低さからではなく、「人間の特性や諸々の環境条件から起こった結果であり、原因ではない」との考えに導いていく。「原因究明」よりも「犯人捜し」が優先される日本にあって、ひいてはミスをする人間は「教育」し直さねばならないという井手にしみついた国鉄以来の人間観を転換するものであった。

井手がカリスマたり得たのは、国鉄の分割民営化を中心人物として成し遂げたのにくわえて、阪神大震災での鉄道復旧という一大事を差配したことによる。いっぽうで救助活動をおこなったひとたちも、こうした「共助」は阪神大震災の経験があったからだと口々に語るのだった。

記憶はひとを束縛もすれば、動かしもする。「失敗学」の畑村洋太郎は、事故直後、文藝春秋に寄稿し、本気で安全対策に取り組むのであれば、事故の「動態保存」をするしかないと説いた(注5)。実際、どれほどの衝撃だったか、目で見て理解できるよう、JR西は車両は永久保存し、人が住めなくなったマンションも保存のための工事が進められている。


 
紹介した二つの会社

いずれも優良会社であり、
日本人が誇れる、
日本人気質な会社だと思います。

二社の共通点は会社のトップに決定権があり、
社会に貢献しようという素晴らしい気構えを持っていることです。
 
 
株式会社フジムラ
 
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日本スピンドル製造


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この様な素晴らしい会社とは是非とも共に仕事をしたい。

そう思いますね。
 

80年代の大物歌手による奇跡のデュエット曲

80年代の大物歌手による奇跡のデュエット曲 80年代を洋楽ばかり聴いてきた私にとって、有名な歌手同士でデュエットするということは、当時のロボットアニメで言ったら、マジンガーZゲッターロボが共演してるようなもので興奮を抑えきれない出来事でした。

それほど私を歓喜させた奇跡のデュエットを紹介していきます。




フレディ・マーキュリーデヴィッド・ボウイ
クイーンのフレディ・マーキュリーデヴィッド・ボウイの2組のスーパー・スターによる一世一代のコラボレーションで完成したシングル「Under Pressure」は1981年11月21日、全英チャートの首位へ瞬く間に駆け上った。
この曲はクィーンお気に入りのスイス、モントルーにあるレコーディング・スタジオ、マウンテン・スタジオで当時、同スタジオの近隣に自宅を構えていたデヴィッド・ボウイがある夜にレコーディング中のクイーンを訪ねたのが切っ掛けで完成されました。
その影響でフレディ・マーキュリーデヴィッド・ボウイが思うままにヴォーカルを交替で取っていたりと即興の要素が多いのが特徴で、私が大好きな曲です。



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Run-D.M.Cとエアロスミス
ニューヨークのクイーンズ出身のグループRun-D.M.C.(ラン・ディーエムシー)。アディダスのスニーカーとカンゴールのハットでヒップホップカルチャーのファッションアイコンでもある彼らはジャンルの垣根を超え、エアロスミスともコラボ。
周りの友達は皆、アディダスのスニーカーから紐を取っ払って履いていました。



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ポール・マッカートニースティーヴィー・ワンダー
ポールとスティーヴィーの豪華なデュエットで、全米1位、全英1位を記録。エボニー(黒鍵)とアイボリー(白鍵)はピアノの鍵盤で調和がとれているのに、人間にはなぜそれが出来ないのか?という人種問題をテーマにした歌詞を、黒人と白人のスーパースター同士がデュエットするという、画期的な作品でした。


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ポール・マッカートニーマイケル・ジャクソン
セイ・セイ・セイ(Say Say Say)は、1983年にポール・マッカートニーマイケル・ジャクソンが発売した楽曲および同曲を収録したシングルで2人がデュエットした曲です。


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ブライアン・アダムスティナ・ターナー
イッツ・オンリー・ラヴ('It's Only Love) は、カナダのシンガーソングライターであるブライアン・アダムスが、アメリカ合衆国の歌手ティナ・ターナーをフィーチャーして発表した楽曲です。
二人共、大好きな歌手で、その二人がデュエットするなんて…
大興奮したことを思い出します。


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フィリップ・ベイリーフィル・コリンズ
イージー・ラヴァー(Easy Lover)は、アース・ウインド&ファイアのメンバーで、高音ファルセット・ヴォーカルが特徴のフィリップ・ベイリーを、フィル・コリンズがプロデュースし、全英1位、全米2位のヒットしました。


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ダイアナ・ロスライオネル・リッチー
ラヴソングの定番「エンドレス・ラヴ」ソウル界の大御所二人が歌い上げる美しいバラードは、1981年に同名タイトルの映画主題歌としてリリース。ビルボードチャートでは9週連続1位という快挙をもたらした。


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アレサ・フランクリンジョージ・マイケル
憧れのアレサとのデュエットで緊張していたというジョージ・マイケルですが、全米1位、全英1位、のヒットに!元々はデュエット用に書かれた曲ではなかったそうですが、アリスタ・レコード社長クライヴ・デイヴィスのアイデアでデュエットに変更されたのだとか。グラミー賞ではBest R&B Performance By A Duo Or Group With Vocalを獲得した二人のソウルフルな歌唱は圧巻です。


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ミック・ジャガーデヴィッド・ボウイ
ミックとボウイ、二人のカリスマがデュエットしたこの曲Dancing In The Streetは、マーサ&ザ・ヴァンデラスが60年代に放ったヒット曲のカバーでした。チャリティ・シングルとしてリリースされ、全英1位、全米7位のヒットに!リリースと同じ年に行われたチャリティ・イベントのライヴ・エイドでは、イギリスで出演するボウイと、アメリカで出演するミックが衛星中継でこの曲を共演するというプランがあったそうですが、当時の技術ではどうしてもタイムラグが生まれてしまうとのことで、残念ながら実現しませんでした。


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フィル・コリンズとマリリン・マーティン
1984年に映画『ストリーズ・オブ・ファイア』のサントラに参加していたマリリン・マーティンですが、一躍注目を集めたのは、このフィル・コリンズとのデュエットでした!映画『ホワイト・ナイツ』に使われ、全米1位、全英4位を記録。このヒットで、その名を知られるようになりました。



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ピーター・セテラエイミー・グラント
クリスチャン・ミュージックでミリオン・セラーを記録する人気シンガーだったエイミーですが、ポップ・チャートで人気を獲得するきっかけが、このピーター・セテラとのデュエットでした。ボビー・コールドウェルが書いたこの曲で、全米1位を獲得しました。



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マイケル・ジャクソンとサイーダ・ギャレット
ドナ・サマーやマドンナなどのバック・ヴォーカルをつとめていたサイーダですが、このマイケルとのデュエットで一躍有名になり、全米1位、全英1位を記録し、その後のクインシー・ジョーンズ作品でも数多く起用されることになりました。


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大物同士のデュエットばかりですが、中には大物と新人で、これが切っ掛けで売れっ子になったシンガーもいます。

才能あるもの同士がコラボすると名曲が生まれ、

名曲は時が経っても色褪せることが有りませんね。