日本人が誇りにすべき会社とは‥?

日本人が誇りにすべき会社とは‥?
人は行動に移したくても柵(しがらみ)により行動に移せないものです。

ましてや会社のトップともなると社員ならびにその家族も養わなければなりません。

そういった立場でも勇敢に行動に移した人達がいます。

会社にとって利益になる訳でもないのに、無償で社会に貢献した人達です。
 

解体業者フジムラはどんな会社?市原ゴルフガーデンの無償撤去理由や藤村一人会長の経歴も!

台風15号で沢山の家が壊われたり大変な状況となりました。千葉県市原市ではゴルフ練習場『市原ゴルフガーデン』の鉄柱が倒壊し、民家16軒が損壊した事故で一体誰が補修するのか連日ニュースで取り上げられています。
 
 
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当初ゴルフ場のオーナーが全て補修・保証をしてくれる話だったのが弁護士が間に入ったことにより、話が進まなくなってしまい、住民の方々の不安や怒りが増す中、突如鉄柱を無償で撤去してくれるという解体業者『フジムラ』が現れました。

保証の面ではまだまだ話は進んでいませんが、まずは邪魔な鉄柱を無償で撤去してくれる業者さんの存在は住民にもゴルフ場オーナーにとっても大きいかと思います。

鉄柱が倒れて翌日には、市原市に撤去の協力をしたいと手を挙げ、調整を進めていた解体業者『フジムラ』はどんな会社なのでしょうか?
無償撤去理由や社長の藤村一人さんの経歴なども紹介したいと思います。


 
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2006年(平成18年)2月、グループ会社の株式会社フジムラMプランナーと株式会社フジムラ企画を設立。

日本有数の解体業者であり、その規模、工事経験、卓越した技術力と機動力によって知名度が高い会社。

株式会社フジムラは日頃からみんなでアイデアを出し合い、社内で活発に話し合うことを重要視しています。


市原ゴルフガーデンの無償撤去理由

スポニチの記事によりますと、株式会社フジムラの会長である藤村一人さんは、「困っている人を助けたい」という理由で無償で請け負うことを市原市と練習場の女性オーナーに申し入れたのだそうです。

しかも、鉄柱が倒れて翌日に手を上げたのだから凄いですよね。

鉄柱の撤去にはおよそ2ヶ月かかるというのだから、その経費はかなりだと思われます。

行政や当のゴルフ場オーナーがもたもたしてる中、地元ではない藤村会長の素早い行動。とても格好いいです。



1.会社の利益よりも人の心情を優先する藤村会長!

 
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美智子上皇后陛下のご生家正田邸が相続税で物納された際解体を入札で請け負った㈱フジムラ。しかし、保存を望む近隣の声に耳を傾け、当時の藤村一人社長は解体工事の辞退を決定。「一度男が口にした事は絶対に変えられない。」と言い、商売より日本人や社員の心情を最優先する素晴らしい方だった。〈出典:ウィキペディア


2.国立競技場解体工事において、スポーツ振興センター(JSC)と建設会社の談合疑惑を追求し、一度は無効となった入札を取り下げ落札!


国立競技場は解体されることとなり、日本スポーツ振興センター(JSC)は入札を行ったが1回目は不調におわる。

2回目から株式株式フジムラも応札するも最低額で無効となる。結果関東建設興業株式会社が落札。しかし、1回目の入札が不調であったにも関わらず、2回目において予定価格が上昇していることに気づいた藤村会長は日本スポーツ振興センター(JSC)に猛抗議に出向く。

7時間話し合いをし、書類の不備の修正を申し出たがJSCは聞き入れず。その際JSCの管理部調達管財課課長から官製談合の疑いがあるとの発言があったためJSCにより公正取引委員会に報告がなされ、更にJSC内で調査部会を設置し、調査が開始された。
しかし、結論は『官製談合はなかった』。

この結果を受け、藤村会長は弁護団を結成し、談合の疑いがある資料を提出。2回目の入札の契約は破棄となった。
この一連の経緯が第187回臨時国会参議院予算委員会で取り上げられJSCの理事長に対し、談合疑惑の追求がなされた。警察庁2課も調査に動く事態に発展。

第3回目の入札は㈱フジムラが最低価格を提示し、またしても保留。藤村会長は弁護団と伴い『特別重点調査』に臨んだ。結果JSCに認められ国立競技場解体工事を16億7292万円で落札した。第1回目の入札から約7ヶ月掛かった。〈出典:ウィキペディア




11月13日撤去が全て完了!

鉄柱の撤去に、1億円かかり、2ヶ月ほどかかると言われていました。しかしそれを無償で、しかも約1ヶ月で完了させた株式会社フジムラ。
ネットでは、称賛の声が多くあがっています。

撤去作業を見ていた人は、とても丁寧な作業だったと言っています。

無償で予定よりも早く仕事をこなす。あまりニュースで会社名を大きく取り上げていないですが、このスペシャリストは株式会社フジムラだと伝えたい。


鉄柱の撤去により、住民の方は住宅被害が拡大するのではないかと、心配してましたが、株式会社フジムラさんの高度な技術と迅速丁寧な作業で被害拡大しなかったようです。
しかも、破損した屋根にしっかりブルーシートで保全までしてくれたそうで。ほんと素晴らしい方々です。


解体業者フジムラは現在2代目である藤村一人さんが社主となり、グループ会社と共にご兄弟と奥様で経営されている会社で、規模・技術・経験すべて卓越した知名度の高い会社でした。

『困っている人の力になりたい』とゴルフ場の鉄柱の無償撤去を名乗り出た藤村一人会長は時に会社の利益よりも人の心情を優先する侠気あふれる方でしたね。

そして実際、予定よりも早く撤去完了し、住民の方が心配されていた、撤去による住宅被害の拡大はありませんでした。
その上ブルーシートで破損した屋根を補修して下さったそうで、本当に藤村一人会長をはじめ、株式会社フジムラさんの優しさと完璧な仕事に感動しました。


まさに建設業界の鏡ですね。
目先の利益を追うのではなく、無償でも社会に貢献することで行く行くは将来の利益に繋がるということでは最善の選択をしたと思います。

他にも関西の方ではこう言ったこともありましたね。



福知山線脱線事故から13年 ある2人の社長の「懊悩」と「決断」
JR西日本と日本スピンドル製造


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事故当時、指示を待つのか、付近で待機し続けたJR西日本の社員たちとは対照的に、機転を利かせて自ら動いた一般のひとたちが注目された。踏切の非常ボタンを押して約100メートル手前まで迫った特急電車に事故を知らせた通りがかりのひとや、救助活動を果敢におこなった近くの会社などの従業員、近隣住人といった人たちである。当時の新聞には「作業着を着たおじさんが救急隊より早く来た。仲間の人たちに指図して、救助に邪魔なフェンスを切り、がれきをどけて、飛び散ったガラスを掃いてくれた」との負傷者の証言が残っている。

この「現場」に、「200人以上の社員を一気に救援に出せるのはうちだけ」と社員を向かわせたのが、くだんの日本スピンドル製造の社長・斎藤十内である。事故の衝撃音を聞いて、すぐに事故現場に駆けつけた社員らは救援活動をはじめるが、しかしまるで人数が足りないからと斎藤のもとに走り、現場を見るよう乞う。そして助けを待つ無数の負傷者の姿を見た斎藤は工場の操業を止める決断をし、社員を救助活動に向かわせるのであった。

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「迷いはゼロであるはずはありません」

斎藤はその前年、低迷する業績をどうにかするべく社長に就任する。そうした状況もあってか、工場を止めることについて、「迷いはゼロであるはずはありません」と率直にふり返り、秋には「名前が売れたのに、業績が落ちたら大変だと、社員にはっぱをかけています」とも語っている。

このあたり、単純な美談ではなく、懊悩をともなう人の決断であるがゆえに、余計に響くものがある。そして2006年度の決算で13期ぶりの復配を果たすことで、「人道的な活動」と「利益の追求」は相反するものと思ってしまいがちだが、そうではないことを証明するのであった。

 
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JR西の支配者・井手正敬の「誤った人間観」

いっぽうで「利益」と「安全」が相反していたのが加害者のJR西である。地域で乗客を奪い合う阪急に競り勝つため、過密ダイヤと高速化に躍起になる最中の脱線事故であった。また救助活動をする近隣企業の従業員や住人と対照的に、脱線した電車に乗り合わせた出勤中の運転士に「遅れずにくるように」と言いつけたり、社員たちが自粛することもなくボウリング大会やゴルフコンペを行うなど、当事者意識の薄さが非難を浴びる。

刊行された松本創による『軌道』は、脱線事故の原因追及とこうした企業体質の変革を追ったノンフィクションである。ここで象徴的なのが、事故当時相談役だった井手正敬の次の言葉だ。「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。そんなものはまやかしです。(略) 個人の責任を追及するしかないんですよ」。ここに天皇とまで呼ばれたJR西の支配者・井手の「誤った人間観」「歪んだ安全思想」が浮き上がる。そして、こうした組織を変える中心となったのが、『軌道』の中心人物であるふたり、鉄道事故は「組織事故」だとするJR元社長・山崎正夫と、遺族の責務としてそれを問い続けた淺野弥三一だ。




ひとは必ずミスをするということ

山崎は、井手に嫌われ、長く子会社に出されていた。それが誰もがやりたがらない事後処理の役回りを担う社長として井手に選ばれる。誰かに指名されて役職につくと、恩義から指名した者に服従しがちなのが組織に身を置く者の習性だろう。ところが山崎は井手を追放してしまう。それは組織から追い出すのみならず、「誤った人間観」「歪んだ安全思想」との訣別の意思表示でもある。

この山崎を衝き動かし、JR西を変えていくのが淺野である。淺野は阪神大震災の復興まちづくりなどを行う都市計画コンサル業を営む。それが事故により妻と妹の命を奪われた遺族として、厳しくJR西を追及し、社員らに恐れられていた。そんな淺野も山崎に対しては「あなたも落下傘で大変やなあ」と声をかける。他の社員にない、ひと対ひとの機微、働く者同士の共振が感じられたからだろう。

かくして山崎と淺野は、安全のあり方を問い、突き詰め、変えていく。それはひとは必ずミスをするということであり、ミスは気の緩みや意識の低さからではなく、「人間の特性や諸々の環境条件から起こった結果であり、原因ではない」との考えに導いていく。「原因究明」よりも「犯人捜し」が優先される日本にあって、ひいてはミスをする人間は「教育」し直さねばならないという井手にしみついた国鉄以来の人間観を転換するものであった。

井手がカリスマたり得たのは、国鉄の分割民営化を中心人物として成し遂げたのにくわえて、阪神大震災での鉄道復旧という一大事を差配したことによる。いっぽうで救助活動をおこなったひとたちも、こうした「共助」は阪神大震災の経験があったからだと口々に語るのだった。

記憶はひとを束縛もすれば、動かしもする。「失敗学」の畑村洋太郎は、事故直後、文藝春秋に寄稿し、本気で安全対策に取り組むのであれば、事故の「動態保存」をするしかないと説いた(注5)。実際、どれほどの衝撃だったか、目で見て理解できるよう、JR西は車両は永久保存し、人が住めなくなったマンションも保存のための工事が進められている。


 
紹介した二つの会社

いずれも優良会社であり、
日本人が誇れる、
日本人気質な会社だと思います。

二社の共通点は会社のトップに決定権があり、
社会に貢献しようという素晴らしい気構えを持っていることです。
 
 
株式会社フジムラ
 
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日本スピンドル製造


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この様な素晴らしい会社とは是非とも共に仕事をしたい。

そう思いますね。