志村けんと6人目のドリフターズ

志村けんと6人目のドリフターズ 

志村けんと6人目のドリフターズ
メンバーの荒井注が休業という名目で74年にドリフを脱退したことにより志村は正式メンバーに昇格しました。
それにしても、なぜ志村が選ばれたのだろう?
志村よりも先に舞台デビューし、ブルース・リーのモノマネで人気を博していたすわしんじを昇格させるほうが順当だった感は否めなかった。
 
 
 
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しかし当時の長さんは荒井さんと同じ年の奴を入れようと思っていた。
長さんの友達でバンドリーダーで指揮やってる人で、豊岡豊という人物です。

それに反対したのが加藤茶

 
 
『長さん、待ってくれ!』
一緒に回ってて、作り方も全部知ってるし、考え方も同じ奴って言ったら志村しかいないんです。
『志村入れようよ』
加藤茶いかりや長介に言ったのが決め手になりました。

その当時の加藤茶の心情を本人がこう語っています。

「自分もだんだんキツくなってきたから。志村が入ってくれることで、広がりができるじゃない。あの時はしんどくて、ネタもあんまり出なくなってきてたし。志村は俺と年中ふざけ合ってたから『こいつ、面白いかもしれない』って入れたら、案の定、ああやってブレークして」

この時の加藤茶の先見の明が功を奏して日本の喜劇王志村けん」が生まれることになります。

リアルタイムで8時だよ全員集合!を観ていた私は出たての志村けんを快く思っていなくて、なぜ加藤茶を多く出さないんだ!と不満に思っていました。

そして、「すわしんじの方が面白いのに」と思っていた1人です。

しかし「東村山音頭」で一気に風向きが変わりました。
新潟市民会館で行われた『少年少女合唱隊』コーナー。
この時のテーマは『民謡』で新潟ゆかりの曲やゲストの出身地の民謡が歌われる中、ラストに歌ったのが志村けんの『東村山音頭』だった。



 


この曲は、たまたま志村が鼻歌で歌っていたのをいかりやが聴いて、とりあえず出してみたという偶然的なものだったが、これが大ウケ。
9月にはシングルで発売され好セールスを挙げる。
東村山市長から『市の知名度を上げた』ということで感謝状も贈られている。
このブレークにより、ドリフターズの一員として、コメディアン・志村けんが世間に認知され、第2期ドリフの快進撃の幕開けとなった。


志村けんが不動のメンバーとなったことにより、すわしんじは6人目のドリフターズと言われることはあったがドリフに仕えた16年間、正式メンバーには入ることが出来ませんでした。

しかし、天才は天才を知るというのでしょうか?
志村けんはすわしんじの笑いの才能を買っていて自分の番組に呼んだりしていました。
志村けんの笑いは入念に考えて、打合せをして、訓練して、時間を掛けて練りに練ってお客さんに見せることで有名ですが、俳優の柄本明とすわしんじの場合はコントの設定のみ伝えてアドリブでコントをしたそうです。

コント中に仕事を忘れ、楽しんでコントしてる志村けんを観てる私達まで楽しくなって大笑いしてしまいます。

👇に二人のコント動画を貼り付けます。必見です!



志村&すわのおもしろコント1




志村&すわのおもしろコント2




志村&すわのおもしろコント3




志村&すわのおもしろコント4





今見てもこの二人の絡みは最高に面白いですね😄
ドリフターズとしてまた残った4人でのコントも観たかったけど、すわけんじとのコントももっと観たかったなぁ…😥