因縁の二人、ライガー 対 鈴木みのる
最近のプロレスは大技を繰り出し合ったり、飛んだり跳ねたりと可憐な技の応酬がメインでプロレスブームが起きています。
そんな中、50歳を超えた二人のこれが昭和プロレスという試合が繰り広げられました。
先ずは試合の解説よりも二人の因縁を知らないと試合の楽しみが半減…いや、10分の1も楽しめないので、二人の関係から紹介したいと思います。
来年、1月4日、5日に開催される新日本プロレスの東京ドーム大会での引退を表明している獣神サンダー・ライガー。
この試合前、マイクを持った鈴木は「おまえ、あのとき言ったよな。『2年ぐらい時間よこせ』って。いつまで待たせるんだよ。それともなにか、『体力が衰えて怖いから、もうあなたとはできません』ってことか?(笑) おい、どうすんだよ?」と、ライガーを挑発。そして「獣神サンダー・ライガー30周年のプレゼントだ!」と、オープンフィンガーグローブを投げつけた。
ライガーと鈴木は、いまから17年前の2002年11月30日、パンクラス横浜文化体育館大会において、パンクラス(総合格闘技)ルールで対戦。
なぜ、いまになって鈴木は、あらためてライガーとの再戦をアピールし始めたのか?
それは、あの17年前の一戦が、鈴木のレスラー人生にとってきわめて重要な試合のひとつだったからだろう。
もともと鈴木にとってライガーは、新日本の若手時代、もっとも仲のいい先輩のひとりだった。それが'89年春、鈴木は新日本を退団して第2次UWFに移籍。ライガーは素顔から覆面レスラーの“獣神ライガー”に変身して、第二のレスラー人生がスタートし、ふたりは別々の道を歩むこととなる。
その後、鈴木はUWF、プロフェッショナルレスリング藤原組を経て、'93年に船木誠勝らとパンクラスを旗揚げし、プロレスから総合格闘技へと足を踏み出す。
そして'95年5月にケン(ウェイン)・シャムロックを破り、キング・オブ・パンクラスの王座を奪取。
しかし、'96年に頚椎ヘルニアの大怪我を負い長期欠場。
そこから連敗を重ねるようになる。
完全実力主義、リアルファイトのリングでは、勝てなくなった選手に居場所はない。鈴木は肉体的にも精神的にも追い込まれた。
鈴木はインタビューでこう語った。
「自分が理想として掲げていた格闘技の世界では、俺みたいに勝てなくなったヤツは身を引くしかない。だから、あの頃は引退することばかり考えていた。本当は辞めたくないのに、自分の気持ちに嘘をついてね」
そして2002年に引退を決意。最後のケジメとして、若手時代のライバルである佐々木健介とパンクラスのリングで、新人の頃の気持ちに戻ってがむしゃらに闘い、燃え尽きようと考えた。
当時、ちょうど新日本とパンクラスは交流戦を行なっていた時期であり、新日本所属だった健介とのカードを組むことが可能だったのだ。
ところが対戦を正式発表したあと、健介は足のケガなどを理由にこの一戦を辞退。
鈴木の“最後の試合”は宙に浮いてしまった。
「あの時は、自分が情けなかったね。その前は、DEEPのリングでUWFの後輩である田村潔司と闘うという話もあったんだけど、それも流れて。勝てなくなったヤツには、自分の“死に場所”すら選べないんだなって」
そんな時、鈴木の携帯電話が鳴る。相手は獣神サンダー・ライガーだった。
健介戦の話がなくなって、もうどこにも行き場がなくなったとき、ライガーから電話がかかってきてさ。『おい、健介がおまえとやらないって聞いたぞ? なんでアイツやんねえんだよ!』って言われてね、『何回聞いても“できない”としか言わないんですよ』『なんなんだアイツ』『知らないっスよ』みたいなやりとりがあって。
そのあと『そこまで話が進んでいたのに、どんな理由があるにしろ“出られない”ってなったら、おまえは健介が逃げたと思うだろ?』って言われて、『思います』って答えたら、『ってことは新日本がおまえから逃げたってことになるんだよ。俺は絶対それを許さない。俺がやる。新日本は逃げねえからな。マスク脱いででもなんでもいいよ、やるよ』って言ってきてね。俺、感動しちゃったんだよ」
かつての先輩が、鈴木の行き場のない思いを受け止めてくれたのだ。
2002年11月30日、鈴木はライガーとパンクラスのリングで対戦。すると、抑えていた感情が溢れ出した。「どうしても、もう一度プロレスをやりたい」と強く思うようになったのだ。しかし、プロレスに復帰すれば、パンクラスを作ってからの自分の発言を覆すことになる。
「でも、どうしてもやりたい気持ちはもう抑えられなかった。だから、それまで築いてきた自分のイメージ、パンクラスの仲間たち、支援してくれた人たちやファン、すべてを失う覚悟で戻ったんだ」
2003年、35歳でプロレスに復帰。あのライガー戦なくして、いまのプロレスラー鈴木みのるは存在しなかったのである。
そしていま、鈴木は引退を決意したライガーと再び闘おうとしている。それは17年前に約束した“総合格闘技ルールで”というわけではない。
4.23後楽園での試合後、鈴木みのるはオープンフィンガーグローブを床に叩きつけてこう語っている。
「べつにこんなもの付けてなくてもいいんだ。俺が殴ればいいんだ、蹴ればいいんだ、首絞めればいいんだ。俺はおまえのトドメをさせればそれでいい。ライガー、おまえの口で答えろ!」
鈴木は17年前のあの一戦以降、自分が培ってきたプロレスをライガーにぶつけるだろう。
そして鈴木に負けてからブラジリアン柔術を学び始め、現在紫帯を取得しているライガーは、その技術も駆使して、自分のプロレスで勝負することだろう。
鈴木みのるvs.獣神サンダー・ライガーは、いまだからこそやる意味がある。
そうして迎えた10.14両国国技館の獣神サンダー・ライガーvs.鈴木みのるの一騎打ち!
なんと、伝説のバトルライガー仕様で登場!
解説はいつものメンバーで山ちゃんとミラノ、そしてゲストに棚橋
試合開始序盤はお互いに探り合い
ライガーが自ら寝そべりグランド勝負へと挑発
しばらくバックの取り合いをした後に、今度は鈴木がグラウンドに誘う。
場外戦を仕掛けたのはライガーだったが逆にイス攻撃を受けてしまう。
リングに戻って寝技で鈴木を追い込むライガー
腕折を仕掛けるライガー
2連続の腕折を仕掛けたが3度目でスリーパーを決められる。
その後は打撃の応酬
掌底合戦は鈴木の威力の方が上回る。
しかし、ライガー起死回生の垂直落下式ブレンバスターが炸裂!
最後は意地と意地の張り合い
最後は鈴木みのる得意技
ゴッチ式パイルドライバー
鈴木は上空を指差す👆
ガッチリ腕で固定して…
その場でジャンプ!
脳天からマットに叩きつけた!
そのまま3カウント!
すると鈴木みのるが…
なんと!
土下座
あの世界一性格が悪いと言われた鈴木みのるが…
深々と土下座をした。
それはお辞儀では表すことが出来ない最高位の感謝の気持ちを鈴木みのるが示したのだ。
ライガーは倒れたまま泣いていた。
頭を上げた鈴木みのるは複雑な表情をしていた。
解説をしていた棚橋は二人の因縁を間近で観ていた一人なので感極まって泣きそうになっている。
この言葉に涙を我慢していた棚橋は泣いた💧
私も泣いた💧💧
ありがとう ライガー
そして ありがとう 鈴木みのる
いい試合観せてもらったよ。