東日本大震災から8年、震災地を訪れました。
今日は2019年3月11日
東日本大震災から8年が経ちました。
8年前の私は一般の人達よりも当時の現況を知る立場に居たのでどうにかして情報を広める事が出来ないかと考えていました。
当時ブログをやっていた私はそこそこプレビュー数が付いていたのでこれを利用するしかないと考え、全ての内容を震災情報一色にしました。
中には一般人には知りえない際どい情報や逆に広めることで混乱を招くのではないかという情報は細心の注意を払いながらブログを書いていました。
例えは福島原発事故による放射能の広がりを予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)というのがあることを知っていた私は民主党が提示した只の円で示した非難注意範囲は信用してはいけないと何度も警告しました。
そこでSPEEDIによる放射性物質の拡散予測も掲示したいと思いましたが関係者曰く福島原発が停電のため放出量予測システムが動かなかったので放出量の情報が分からないとのことでした。
例え放射量が分からなくてもそこを仮定の数字で入力すれば分かるのではないかと思いましたがそこは素人の私でも思いつくこと、やはりSPEEDIによる仮定予測図はあり見せてもらいました。
一時はその仮定予測図を拡散しようかとも考えましたが以下の3つの件が引っ掛かり断念しました。
① 当時はSPEEDI自体が認知されていない(民主党が無知の所為)ので信用されない。
② 拡散したことにより資料を提示してくれた関係者に迷惑が掛る
③ 放出量予測システムが動かなかったので放出量は仮定の値で計算されたことで正確でない。
以上の理由で拡散はしませんでしたが不明確との条件付きで個別にメールや電話で相談に乗り対応はしていました。
例えば相談者の所在地を聞いて『政府発表では非難範囲にあるけれどSPEEDIの過程予想図では非難する必要ないとなっているが心配であれば○〇方面に移動した方がいい』などです。
また救援物資を皆で集めて輸送したときに途中で政府に止められてしまった際は納得がいかず理由を調べたら衝撃の事実が判明して、二度とこの様なことが起きないよう拡散したりもしました。
今考えると色んな事してたな。
それだけ私も必死だったんだなと思います。
あれから8年経ちますが今でもやれることはやって行きたいと思います。
先ずは観光でも何でもいいから現地を訪れてお金を落としていくことが私たちでも出来る復興支援ではないかと思い今週末は南三陸に行って来ました。
南三陸さんさん商店街
2012年に南三陸町志津川地区に仮オープンしたのが始まりで、名前の由来は『サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街にしたい』という思いで名付けられたそうです。
折角来たからには南三陸を代表するブランドグルメの南三陸キラキラ丼を食すしかあるまいということで頂いてきました。
うっまぁ!!
イクラがたっぷり乗ってめちゃくちゃ美味しい。
ちなみにB級グルメも色々あってこんなのまでありました。
かきクリームコロッケにたこカレーパン
これも中々美味でしたよ。
そして寄せ書きもされていました。
ちょっと歩いて行くと海岸にほど近いところに冠婚葬祭式場「高野会館」があります。
あの日、利用客ら327人と犬2匹が屋上に避難し、命が救われました。
周囲は嵩上げ工事で地上高が上がっている中、ここは当時のまま残されていました。
現地の人達の要望で残しているとのことです。
近くに行くと当時の波の高さを実感出来て恐ろしく感じました。
上に見える青い看板まで水面が達したそうです。
周辺のコンビニには花束を売っていました。
普段はあまり見ない光景です。
周辺の工事は殆ど完成されていて川も増幅され橋も建替えられていました。
工事の人がいたので話を聞いてみると祈念公園が再来年頃までに出来るそうです。
後は早く人々が戻って来て繁栄して欲しいですね。
心よりそう思います。
日中は工事の進捗具合を確認するが如くブラブラ歩いて回って夕方には宿泊先である南三陸ホテル観洋に付きました。
夕食は豪勢(被災地にお金を落とすため)に
アワビの踊り焼き
そしてカキ鍋
お腹は満腹になりましたが財布は大分ダイエットしました。
でも大満足です。
皆さんも是非とも訪れてお金を落としていきましょう。